2013/07/17

過激な改憲派の人って、ほぼ例外なく戦争未経験だよね




http://mainichi.jp/select/news/20130717k0000m010079000c.html

 15日に放映されたテレビインタビューで、再び憲法9条改正に意欲を見せた安倍晋三首相。尖閣諸島を巡る日本と中国の対立が9条改正論を後押ししているとの指摘もあるが、沖縄・石垣島出身の宮良幸宏さん(74)=横浜市港南区=には、それがつらい。戦時中に尖閣諸島の沖合で空襲を受け、弟と妹を亡くしたからだ。「もうあんな悲劇は繰り返してほしくない。参院選は憲法のことも考えて1票を投じてほしいんです」

 68年前の1945年7月3日。石垣島の住民は軍の指示で2隻の疎開船に乗り、台湾に向かっていた。当時6歳の宮良さんも母親、6人のきょうだいと船上にいた。

 突然ダ、ダ、ダという音と共に、目の前にいた男の子が崩れ落ちた。米軍機の機銃掃射だった。近くを航行していた別の疎開船は炎上して沈没。宮良さんたち約100人を乗せた船も機関が壊れ、尖閣諸島の一つ、魚釣島に漂着した。

 島は無人で、疎開者たちは「クバ」と呼ばれる木の芯や雑草で食いつなごうとしたが、次々と餓死者が出た。終戦後の同年8月18日に救助が来たが、宮良さんの妹(当時3歳)と弟(同1歳)は石垣島に戻った直後に栄養失調で亡くなった。犠牲者数は80人以上との説もあり、関係者の間で「尖閣諸島戦時遭難事件」として語り継がれている。

 宮良さんは戦後も「平和」を実感できなかった。大学進学のために渡った沖縄本島では、ブルドーザーで次々と米軍基地が造成されていた。「平和と人権が保障されているところで暮らしたい」と親戚を頼って上京。大学に入り直し、教員になった。だが72年の沖縄返還後も米軍基地は残り、一方で戦時中の体験はどんどん忘れられていると感じた。

 83年、あらがうように自らの戦時体験をまとめた本を自費出版。さらに退職後の2006年には作家の大江健三郎さんらが「九条の会」設立を呼びかけたのに応じ、地元の仲間と「港南台9条の会」を結成した。参院選が近づいた先月22日も、横浜市のJR港南台駅前で「憲法について学び直しませんか」と声をかけながら、通行人にビラを手渡した。だが、受け取ってくれる人はまばら。「憲法への関心は高まっていない」と歯がゆかった。

 5年前に102歳で亡くなった宮良さんの母親は、魚釣島で乳の出なくなった乳房をかみ続ける弟を「痛い」と押しのけたことを一生悔いていたという。宮良さんは訴える。
(毎日新聞 2013年07月16日 22時00分(最終更新 07月16日 23時05分)
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9条に関して、現在の日本の改憲派たちで戦争を経験した人はほとんど聞いたことが無いのですが、護憲派には戦争経験者の存在を結構ききます。
即ち、この様な構造では、改憲派がどのように正当性を主張しても、人間の心理としての詭弁的な雰囲気を拭えないのです。。。

政治comでは憲法は必要に応じて変えていく必要があると考えますが、改憲派の人々は、この説得力の無さをどの様に乗り越えていくのでしょうか。。。果たして!!

ファイトだ改憲派!


戦争への国民感情~実際に戦争になった国~