
http://listverse.com/2013/02/22/ten-lessons-we-can-learn-from-the-nazis/
10.世界を征服したいなら全力!
ひとりの男の意思と理想に盲目的に忠誠を誓うか、逆らうと怖いのでしかたがなく従う人々が、第三帝国を作り上げていった。実際はドイツの軍産複合体制は滑稽なほど非効率的だったのに、圧倒的に市民の利益に貢献していたというのが、この戦争の重要な点だ。
確かに、アメリカとソ連が参戦してきた1941年までは、第三帝国よりも、戦時経費と軍事物資の生産が経済的に見合っていたのはイギリスだけだった。1942年になって、アルベルト・シュペーアが経済を立て直し始め、今日私たちが戦時経済と考えるものができたが、その頃には、ドイツに敵対する多くの国々が協力関係を結んでいたのだ。
9.負けているときの弱い敵より、勝っているときの弱い友が危険 海外では、歴史的には、日本軍の真珠湾攻撃より、1941年のドイツ軍のソ連侵攻のほうが大失敗だったと言われている。あのとき、ドイツ国防軍はモスクワまであと10マイルというところまで来ていて、もう少しで敵の士気をくじくことができたはずだった。
問題は、あんなだだっ広い国に攻め入るのに、ドイツ軍があまりにも薄く広がりすぎていたことだ。さらに悪いことに、ドイツの愚かな人種的優越主義のせいで、いざ大規模な部隊の増派が必要になったときに、打倒ソ連(1930年代にソ連政府の残虐行為でたくさんの人々が殺されたことに端を発した)の大半を占めるはずだった大勢の人々が、飢え死にし、監獄に入れられていたことだ。鬱憤のたまった市民から新兵を補充するどころか、ナチは東部戦線後方で膨れ上がった何万というレジスタンス運動に対峙しなくてはならないはめになった。
8.イデオロギーの前に供給源をやりくりすべし ソ連と第三帝国の戦争は避けられなかったというのが、歴史家の見方。1941年6月22日、ソ連に奇襲攻撃をしかけたとき、ドイツ軍は数では勝っていたという。ところが、最大のチャンスをのがし、時間とエネルギーの無駄になった点が注目されている。
まず、戦争全体を考えると、第三帝国は産業や軍を支えるための十分な石油やガスを確保するのに大きな問題を抱えていて、試験的な代替品に頼ることすらあった。ソ連への侵攻が始まったとき、最大の石油供給元である中東は広く開かれていた。ドイツが中東をおさえておけば、ソ連への大量石油供給の生命線コーカサス山脈地域は、すぐにも攻略すべき場所だったはずだ。しかし、『わが闘争』の中にはそのことは書かれていない。ひたすらウクライナとその他の東ヨーロッパの国を手中にすることばかりに集中していて、重視していないのだ。
7.今日のちっぽけな反体制派が、明日の独裁者になる可能性がある
ヒトラーの台頭は、彼が生きていた時代を考えると必然だったと一般的には見られているが、それはほとんど暴走に近く、途方もなく滑稽にみえた。無声映画の中のヒトラーはまるでコメディアンのようだが、映画の中に音声が取り込まれるようになると、彼の言っていることは不思議と信用できるような気がしてくる。
しかし、1923年11月9日に彼が起こした小規模な革命、ミュンヘンビアホール一揆は、彼の数千の仲間たちが100人の兵士に押さえ込まれて失敗した。革命の屈辱的な失敗から立ち上がって、首相にまでのぼりつめたヒトラーの才能は、何かと話題の多い、物笑いのたねになっているどこかの軍隊リーダーと同じである。
6.軍隊は経済に悪い刺激を与える
第三帝国が勢力を増した理由は、経済効果が市民生活を向上させたからだと言われている。確かに、戦争前夜のドイツの経済政策は悲惨だった。第三帝国は輸出に頼って、経済の不均衡を呼び込み、1920年代に超インフレの引き金になった巨大債務を生み出していた。早い時期に軍隊の成功がなかったら、第三帝国は軍事費によって財政的に深刻な危機に陥り、世の中の経済もすぐに同じ状態になっただろう。
5.所属先、肩書きでその人を非難してはいけない
先のローマ教皇ベネディクト十六世がヒトラーユーゲントの一員だったことが明らかになったとき、大騒ぎになって、カトリック教会への偏見と、スキャンダラスな秘密がとりざたされた。当時、ヒトラーユーゲントのメンバーになるのは、基本的に義務だった。教皇は積極的なメンバーではなかったし、会合にも参加したことはない。むしろ、メンバーの当座の利点を得て、1943年に実際に従軍する前に単純労働に就いていたが、1945年の4月に脱会した。肩書きで個人を判断するべきではないということだろう。
4.ひとりの人間の気まぐれを国家政策にするべきではない
1939年9月、ポーランド侵攻が始まったとき、ドイツ軍は不完全で、まだろくな準備もできていなかったようだ。ドイツ軍司令部は、経済的な問題を認識していて、ドイツ海軍と空軍は世界戦争にはまだ準備不足だとわかっていた。ヒトラーと部下たちは、戦争はポーランド止まりにするつもりで、侵攻を開始したのだ。
この件に関して、ヒトラーは“わたしの時間はあまりない”(彼はすでに50歳で、悪い病気に蝕まれていたと言われている)と言っている。第三帝国の寿命を縮めた大戦争が始まるきっかけとなった、悪名高いポーランド侵攻は、ひとりの男の残りの人生の都合を考えて遂行されたのだ。1945年3月のネロ指令も同じ人間の個人的気まぐれの結果で、ヒトラーの命令はドイツの土台を破壊した。ドイツにとって幸運だったのは、このときにはアルベルト・シュペーアに命令に従わないことを学ぶだけの度量があったことだろう。
3.運にたよらなければならないこともある
ドイツ軍がベルギー経由でフランス国境を突破しようとしていたとき、愚かにもマジノ線に居座っていたせいで、フランスは1940年早々に戦争から離脱するはめになったと一般的に考えられている。ナチスがフランスに侵攻できたのは、連合軍の大半がベルギー北部に集結していて、ドイツ軍が突破したアルデンヌの深い森が手薄になっていたせいだ。しかし、この攻撃計画はそれこそルーレットの賭けのようなものだった。
連合軍が部隊を動かしていたら、ドイツ軍の進行は阻まれていただろう。アルデンヌの森を進むのは、道もはっきりしない狭い悪路をいくようなもので、連合軍は簡単にドイツ軍を狙い撃ちでき、アルデンヌから追い払うことができただろう。しかも、ドイツ軍は引き返すことすら難しかったのだ。しかし、このときは一番必要としていたときに、ドイツ軍側に運があったということだ。
2.強制労働は支配側にも同じように過酷である
強制労働を強いられた人たちの行いは、たびたびナチの利益に不利に働いた。人間は自由を奪われると、たいてい生きる意欲を失い、死の恐怖から、なんとかして抵抗しようとする。労働者たちがわざと不良品を作った数多くの例があるという。
1944年のイギリス軍のV2ミサイル砲撃は、そんな労働者たちのサボタージュによって大いに助けられた。ドイツ側のロケットの3分の1が命中しても爆発しなかったのだ。人間性を奪う非道な強制労働が一番悪いのは当然だが、強制労働を容認した者は倫理的なことよりも損益のほうを心配したのかもしれない。
1.支配者民族主義の張本人ですら、本当のところはよくわからない
第三帝国のもっとも重要な任務は、最終的解決と称して好ましからざるユダヤ人を絶滅させることだった。1935年にナチスはニュルンベルク法という人種政策を制定したが、どこまでをユダヤ人と認定し、その数をはっきり定めるのには問題があった。最終的に、個人や親の宗教は、祖父母の宗教とは関係ないと決められた。
だから、たとえカトリックの司祭とプロテスタントの聖職者でさえも、ユダヤ人の祖父母が三人いれば、人種的にユダヤ人ということになった。筋が通らなくもないが、ヒトラーが言うように、ユダヤ人が存在しないなら、でっちあげる必要があったのだろう。当時でさえ、こんな考えがナンセンスなことに人々は気づいていたはずだ。
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