2013/04/02

日本軍閥の祖~山縣有朋(2)~



Yamagata Aritomo(1838~1922)
第3,9代内閣総理大臣、元陸軍大将

明治維新後、軍政の頂点へ
明治維新後、山縣さんは政治家として様々な功績を残しました。
明治二年(1869)の渡欧後には、西郷隆盛の協力を得て、徴兵制の制定。
伊藤博文内閣では内相として警察制度を完成。
さらに市制、町村制を制定して国内を整備。
首相時代には第一回の国会にいどみ、絶対主義の議会操縦法の確立するなど、
まさに華々しいものでありました。

しかしながら、首相の前歴と当時現役の枢密院議長の職もなげうち、軍司令官として出征することを明治天皇に願い出ました。
そして、第一号の公式命令をだしました。

「万一如何なるなん的ににもかかわるも、決して敵の生擒するところとなるべからず。むしろ潔く一死をとげ、以て日本男子の気象を示し、以て日本男子の名誉を全うするべし」

この言葉に、山縣さんの国家観のすべてが表れています。

1894年の日清戦争のさい中国で、山縣さんは自らの判断ミスによって、自軍に大損害を与えてしまい、このことをきっかけに、明治天皇に「病気療養のため」という勅命で戦線から呼び返されました。政治家を足掛かりとして、軍閥の頂点に立った人間は、どうやら軍の指揮官としての才能にはあまり恵まれていなかったといわれております。

こうして山縣さんは次第に失速していきました。


アベノミクス





日本軍閥の祖~山縣有朋(1)~